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  • Miho Uchida

ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)の『皇帝ティートの慈悲』

Updated: Jun 9, 2021

La Clemenza di Tito at the Royal Opera House


第一幕、第一場面、カンピドリオの舞台セット ©2021 ROH, Photograph by Clive Barda
第一幕、第一場面の舞台セット ©2021 ROH, Photograph by Clive Barda

ロックダウンが緩和され、劇場がオープンした5月17日、ロイヤル・オペラ・ハウスにモーツァルトの『皇帝ティーㇳの慈悲』を観に行った。雷雨だったにも拘わらず久しぶりにコヴェントガーデンに向かう心はウキウキ。到着すると大勢の係が笑顔で迎えてくれ、コロナの規制を遵守すべく座席の場所によって入り口が振り分けられた。観客数はいつもの半分で侘しい気もしたが、それでも7か月ぶりのROHの公演に心が高鳴った。この『皇帝ティーㇳの慈悲』は鬼才リチャード・ジョーンズの新作品だったので2重に心がウキウキしていた。他の観客も同じ気持ちだったのであろう。指揮者のマーク・ウィグルズワースが、指揮台の上に立つと、「待ってました」とばかりに観客からの拍手はしばらく鳴りやまなかった。


『皇帝ティーㇳの慈悲』は神聖ローマ皇帝レオポルト2世のボヘミア王としての戴冠式の為にモーツァルトが依頼されて作ったオペラ・セリアだ。1791年9月6日、彼が死ぬ3か月前にプラハのエステート劇場で本人の指揮によって初演された。ROHで最後にこのオペラが上演されたのは2002年の事なので19年ぶりの公演になる。


この作品はローマ時代を現代に置き換えた設定で、皇帝ティート(エドガラス・モントヴィーダス)は服装から察するに学校の校長のよう、その暗殺の策謀者たちはナイフをポケットに入れてサッカーを楽しむ現代のごろつき風、そしてティートがべレニーチェ(金子・扶生)の次に妃に選ぼうとしたセルヴィリア(クリスティーナ・ガンシュ)は、キャンディーやスパゲッティを売っている食料店の売り子だ。その宮殿は白亜のローマ建築、しかしながら中は現代風な殺風景な部屋で、その建物の前でサッカーをしている場面から始まり、最初どういう設定なのかすぐには察知できなかった。家に帰って考えてみると、「表向きは白亜の豪勢な建物でも、中はすさんでいて、今も昔も物事は見かけ通りではない。」とか、「質素な一般市民でもセルヴィリアのように心の澄んでいる人間はいる。」というような意味があるのだろうと想像したが、観ながらすぐには理解できなかった。衣装は現代風で簡素且つ単調で面白みがなかった。


	エドガラス・モントヴィーダス演じる皇帝ティーㇳ
エドガラス・モントヴィーダス演じる皇帝ティーㇳ

セストを演じたエミリー・ダンジェロは最初から最後まで紺色の味気のないサッカーのユニフォームを身に纏っていて、見た目はパッとしなかったが、気持ちのこもった玲瓏たる声は人の心を引き込む力があった。ヴィッテリアの役どころは、策略的で嫉妬、幻滅、恐れなど多彩な感情を表す必要のある女性だが、有能さを強調する現代女性のオフィス着のような衣装に身を纏った二コル・シュヴァリエの演技は、悔しがったりする時など歯ぎしりが聞こえてくるかの如く真に迫っていた。エドガラス・モントヴィダスのティートは伸びの良い潔い感じの歌声が皇帝に相応しかった。


	エミリー・ダンジェロ演じるセスト(左)と二コル・シュヴァリエ演じるヴィッテリア(右)
エミリー・ダンジェロ演じるセスト(左)と二コル・シュヴァリエ演じるヴィッテリア(右)

私の好みではなかったのは、この演出では皇帝ティーㇳが感情を抑えて理を貴ぶオペラ・セリア的ヒーローではなく感情的な皇帝だったことだ。ヴィッテリアも「ヴィッテリア、今こそ(Ecco il punto , o Vitellia)」に続いてロンド「もはや、花の鎖を編むことはない(Non, più di fiori vaghe catene)」を歌った時、歌詞や曲調が持っているネオクラシカル的な威厳と潔さが感じられなかったので残念だと思った。


ウィグルズワースの指揮は実直でキレがあり、またROHオーケストラの演奏は冴えていて素晴らしくうっとりした。この日私が一番感動したのは第1幕のセストのアリア、「私は行く(Parto, parto, ma tu ben mio)」のクラリネットのオブリガート演奏だった。マシュー・グレンデニングが奏でたホールにしっとりと鳴り響く音に心を奪われ、ライブ音楽のかけがえのなさをしみじみ感じた。台本にはバセット・クラリネットと書いてあるがコロナの制約の為、変ロ管(B Flat Clarinet)が使われたそうだ。およそ8分ほど続くセストとの会話のようなこのオブリガートはこのオペラの音楽におけるクライマックスだった。第2幕のヴィッテリアのロンド、Non,piu di fiori におけるバセット・ホーンのオブリガートの音も柔らかでなめらかで心地よく、思わずピットをのぞき込んでマリナ・フィンナモアの演奏を注視してしまった。


	クリスティーナ・ガンシュ演じるセルヴィリア
クリスティーナ・ガンシュ演じるセルヴィリア

セットの中では第1幕のフィナーレにおける舞台上のカンピドリオの 火事の場面で窓からもくもくと出てくる煙が迫力があり、効果的だった。しかしコロナの制約からか、オフステージのコーラスが観客席の後ろから聞こえてきて、舞台上の5重唱と調和していないような気がしたのは私だけだろうか?


特筆すべきは今月ロイヤル・バレエのプリンシパルダンサーに昇格した日本人、金子扶生(かねこふみ)がピンクのドレスに身を纏ったべレニーチェ役で出演し、その立ち居振る舞いの美しさに舞台上で光を放っていたことだ。歌もセリフもないべレニーチェ役だが、皇帝ティートがぞっこんになったのが、納得できるほどの颯爽とした美しさだった。


久しぶりの開幕を飾るにふさわしい、これぞロイヤルオペラハウスの舞台、というわけではなかったが、それでも久々のライブオペラを観て心は満足して帰途についた。ロックダウン中スニーカーしか履いていなかったので、ハイヒールが苦痛で、帰途は這う這うの体で駅から家まで歩いて帰ってきた。そうしてロックダウンがいかに長かったかを改めて思い知った夜だった。


ロイヤル・オペラのオンライン・ストリーミングで6月20日まで鑑賞可能


2021年5月27日付J News UKにて掲載







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