Theodora at the Royal Opera House
ROHがヘンデルのオラトリオ『テオドーラ』を公演した。1750年の初演以来初めての上演だ。オラトリオ(聖譚曲)とは宗教的な題材を基にコーラス、ソリスト、オーケストラから構成され、元々は舞台用ではなくコンサート用に作曲された楽曲だ。しかしオペラにして公演されることも多い。英国が誇る舞台演出家、ケイティ・ミッチェルによる新しいプロダクションだ。本来の設定は紀元4世紀のアンティオキアでキリスト教徒である貞淑なテオドーラがローマ人に迫害されて殉教する話だが、ケイティは設定を現代に置き換えた。ローマ大使、ヴァレンスの司る大使館で抑圧を受けながら働くキリスト教徒、テオドーラを、密かに大使館を破壊する策略を練る大胆な女に変身させている。そしてオペラのお決まりともいえる犠牲者的女主人公の顛末を現代フェミニスト風な展開に差し替えている。
クローイー・ラムフォードのデザインした舞台はテオドーラやアイリーンなどキリスト教徒達が働くキッチンと大使館のサロンを横並びにし、舞台を横にスライドさせることによってシーンの変換を図っていた。横並びになった暗いグレー色のキッチンに対して大使館のサロンを明るいベージュ色にすることによって、抑圧されているキリスト教徒たちと威張っているローマ人との差を視覚的に表現していた。更に第2幕になると大使館内の隠れ部屋的存在であるポールダンスの部屋が横に足される。懲罰としてテオドーラがローマ兵を相手に娼婦として働かされる暗くて真っ赤な部屋だ。ジェームズ・ファーンコムのデザインした照明も各部屋の雰囲気を醸し出すのに抜群の効果を発揮し、表と裏の存在する大使館内を見事に描写していた。スージー・ジューリン―ウォレンがデザインした衣装はキッチンで働くキリスト教徒たちの制服の色合わせが都会的でまたポールダンサーの衣装がセクシー且つ高級感を醸し出していた。
指揮はバロック専門家として有名なハリービケット。彼のいつもながらの落ち着いた指揮はテンポがちょうど良くヘンデルの格調高く深みのある音楽をROHのオーケストラから引き出していた。
この日の歌手陣は精鋭だったが、何といってもジョイス・ディドナートの歌唱力は群を抜いていた。堂々と落ち着いているアイリーンを演じたジョイスを見ていたら彼女が味方ならテオドーラも大丈夫では、という気になり、フェミニスト的な展開を裏打ちするという点でも多大な役割を果たしたと思う。第3幕冒頭に彼女が歌った“Lord, To Thee Each Night And Day”では声が黄金のように光輝いているのが見えるようでその美しさに引き込まれ魅了された。タイトルロールのジュリア・ブロックは正確な音程の細めの声ですべてを丁寧に歌い上げた。テオドーラの恋人、ディディマスはカウンターテノールのヤコブ・ジョゼフ・オルリンスキが演じたが、彼は涼しい鈴の音のような美声が魅力的だ。また彼の鍛えられた体とポールダンスの腕前は賞賛に値する。グラインドボーンの『ジュリオ・チェザーレ』を観てもROHの『アグリッピーナ』を観ても昨今ではバロックオペラの歌手は踊りや、アクロバット、そしてここではポールダンスまでこなすことを求められ、歌手も多才でなくてはならぬ。ローマの大使、ヴァレンスを演じたギュラ・オレントの傍若無人ぶりは真に迫っていたが、歌は少し雑で音も不正確と感じた。ヘンデルのオラトリオではコーラスの役割が重要だが、特にヘンデルが一番気に入っているというイエスの奇跡の話を謳った第2幕の最後のコーラス"He Saw The Lovely Youth"は厳粛な感じの短調から晴れやかな長調に変わる傑作で、コーラスが、鳥肌が立つほどの美しさで歌い終え第2幕を締めくくった。
特筆すべきはバロックのダ・カーポアリアの時間の間を持たせるかのように歌手達がスローモーションで動く幾つかの場面だ。それは映画の中のスローモーションのようで、ROHでバロックオペラを観ているというより、ネットフリックスで映画を見ているような気になった。これも現代感を醸し出す演出テクニックの一つだと思い、ケイティの徹底ぶりに感銘を受けた。
270年以上もROHでは演じられなかった演目だが、タイムリーな演出で、ヘンデルの優雅な音楽だけでなく、見た目にも刺激的。長いバロックオペラを飽きさせることなく見せ、観客の心を掴む。日本にも近いうちに持って行かれることを期待している。
ロイヤル・オペラ・ハウスにて2月16日まで上演
2022年2月7日付、J News UK にて掲載
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