top of page
Miho Uchida

イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)の『カルメン』

Carmen at the English National Opera


ドン・ホセ(ショーン・パニッカー、左)とカルメン(ジンジャー・コスタ=ジャクソン、右)©Adiam Yemane


ENOは、本部をロンドンから地方に移動しない限りアーツ・カウンシル・イングランド(ACE)[1]からの補助金を受けられないと昨年11月に宣告されたが、交渉の末に、1146万ポンド(原稿執筆時換算レートで約18億5千万円)の補助金が今年度に限って出る事が先月決定したばかり。ACEからの補助金は毎年全収入の3分の1以上[2]と多大なため、これらのニュースはENOのロンドンでの存続にかかわる問題としてイギリス芸術界にセンセーションを巻き起こした。ACEは、2023年から2026年までの予算においてロンドンにおける芸術団体への補助金を年間5000万ポンド(原稿執筆時換算レートで約81億円)減らし、それを地方の文化団体に回す計画としたが、ENOがその打撃を受けた形となった。交渉によってこれから一年、2024年3月までのロンドン・コロシアムでの上演はなんとか可能になったが、一瞬先は闇の状態である。


資金問題で人々が熱くなっている中、ENOの2023年・春シーズンは、スペインの演出家、カリクスト・ビエイトの血沸き肉躍る作品、『カルメン』でスタートした。この日、満席の会場に入るや否や100年以上ロンドンで存続しているENOを応援している観客たちの熱気を筆者は肌で感じた。


『カルメン』のあらすじは衛兵の伍長、ドン・ホセが、たばこ工場で働く魔性の女、カルメンに魅せられ、仕事も捨て彼女との恋に走るが、カルメンが闘牛士のエスカミーリョに移り気するとドン・ホセの愛は嫉妬と執着、そして怒りに変わり、カルメンを殺してしまうという話だ。


ビエイトのこの『カルメン』は、ENOでは2012年に初演されて以来3度目のリバイバルである。舞台設定は元々の設定である19世紀のセビリアから、独裁者フランシスコ・フランコによる統治末期の1970年初頭のスペインに置き換えられている。開幕直後から、罰を受けている兵隊が裸で銃を担ぎながら疲労困憊してぶっ倒れるまで走らされるという背筋に緊張感走るシーンで始まり、独裁政権の軍隊の見せしめ的な懲罰を彷彿させられた。またアルフォンス・フローレスのデザインしたセットは、1956年からスペイン各地に建てられその後スペインのシンボルにもなった「オズボーンの雄牛」の看板を聳え立たせたり、カルメンや、メルセデスそしてフラスキータがつるんでいるギャング達は何台もの70年代のメルセデス・ベンツに乗って夜、登場するなど1970年代のスペインを想起させた。


この作品ではカルメンは自由なジプシーというよりはストリート娼婦という印象で、服装もセクシーというよりも早く脱げることを優先しているシンプルなものだったし、自由を謳歌し、束縛を嫌い、男から男へ渡り歩くという本来のカルメンの姿よりも、男性の性的搾取の世界から抜け出ることができないというイメージだった。それは暴力的でカルメンに癇癪を起すドン・ホセや、ナルシストで売春や密輸に絡み、カルメンを弄ぶエスカミーリョから見て取れた。その他にもカルメンがスニガに噛みついて血が出たり、ミカエラが唾を吐き捨てたり、最後の場面ではドン・ホセがカルメンの喉を掻き切るなど、えげつなく安っぽい人間社会が描かれておりそこから抜け出ることが出来ずに死んでいくカルメンの悲惨さが感じられた。


ドン・ホセを演じたショーン・パニッカーは後半にかけて声量も出てきて歌声に張りがありうっとりさせてくれた。何より2021年10月に『サティヤーグラハ』で、ガンディーを演じた同じ歌手とは思えないほど、キャラクターづくりが上手だった。彼のカリスマ性のあるゆっくり杖を突いて歩くガンディは説得力があったが、小心者で癇癪持ちのドン・ホセも同じく訴求力があった。急遽代役でミカエラを歌ったキャリー=アン・ウィリアムズの白いカーラの花のように長く伸びて凛とした華麗な歌声は場内に感動を与えた。エスカミーリョを演じたヌモン・フォードは(ビエイトの作品特有ではあるものの)エスカミーリョのキャラクターである威張り散らした格好つけという役どころをうまくこなしていた。スニガ役のフレディー・トングは舞台上で存在感があったし、セント・ジョセフ・カトリック小学校とウェンデル・パーク小学校の生徒たちによる素人とは思えないほどの堂々とした演技と合唱は賞賛に値する。そして何といってもカルメンを演じたジンジャー・コスタ=ジャクソンの熱演は観客をくぎ付けにした。彼女のバーガンディー・ワインのように華やかで味わいのある歌声は「ハバネラHabanera」で響いたし、この作品におけるストリート娼婦のようなカルメンのキャラクターが良く出ていた。


ケレム・ヘイソンの優雅な指揮は序曲ではテンポが速めできびきびとしているかと思えば、情感的でふくよかな感じがするところと交錯していてメリハリがあり、指示通り正確に演奏するオーケストラは生の演奏がもたらす究極の心地よさを味あわせてくれた。

閉幕後、帰途に着く観客からは、ENOのサポーターとして満足に浸る表情がうかがえた。今ENOのロンドン・コロシアムに行くと、演じる側も観客もロンドン・コロシアムにおけるENOを存続させようと意気込む気合が感じられて熱い気持ちになる。

[1]アーツ・カウンシル・イングランドはイングランドにおける芸術文化の持続可能な発展と、社会のあらゆる人々が芸術に触れる機会を提供することを目的としながら、多様な芸術活動への資金提供や保護活動を行う。資金は政府から来ているが、運営に政府からの干渉を受けない独立した団体である。 [2]割合はその年度によって変わる。2020/2021シーズンは83%、 2019/2020 は52.0%、2018/2019は34.2%、2017/18は37.7%、 2016/17は、39.8%, 2015/2016は46.3%。




エスカミーリョ(ヌモン・フォード、左)とドン・ホセ(ショーン・パニッカー、右)©Adiam Yemane

ミカエラ(キャリー=アン・ウィリアムズ)©Adiam Yemane

エスカミーリョを応援する観衆たち(セント・ジョセフ・カトリック小学校とウェンデル・パーク小学校の生徒たちとENOコーラス) ©Adiam Yemane

「オズボーンの雄牛」の看板 ©David Pineda Svenske


イングリッシュ・ナショナル・オペラ『カルメン』2月24日まで公演。チケットはこちら



2月15日付 J News UK https://j-news-uk,com に掲載



Comments


bottom of page