Macbeth by Verdi at the Royal Opera House
「さすがはネトレプコ」と恐れ入ってしまったのが、今シーズンのROHの『マクベス』だ。フィリダ・ロイドの2002年演出作品の3回目のリバイバルである。ROHの音楽監督であるアントニオ・パッパーノが指揮を執り、タイトルロールをセルビアのバリトン、ジェイコ・ルチッチが、そしてマクベス夫人をアンナ・ネトレプコが演じた。
ネトレプコの声量はゆたかで、声は弾力に富み、音色も鮮やかで生気がみなぎっていた。夫のマクベスにダンカン王殺害を猛然と焚きつけるその鋼のように強靭な意志を、第一幕のアリア「Vienti! t’affretta! (さあ、急いでいらっしゃい!)」で表現したがコロラトゥーラが見事だった。彼女の力強さは素晴らしい。その上第二幕のアリア「La luce langue (光は萎えて)」では、感受性の鋭さも兼ね備えていることを示し、力強さに繊細さが加わった見事な演技だった。しかし何と言ってもインパクトがあったのは、第四幕の夢遊病のシーンだ。マクベス夫人は罪の意識に苛まれ、追い詰められた末に心が崩壊してしまう。鬼気迫る演技でその狂気を表したネトレプコに観客は眼も心も奪われた。彼女のカリスマ性たるや並大抵ではない。
ルチッチは前半は殺人を億劫がるマクベスを描写する為に声を抑えているのか、それとも本当に声が出ていないのか良くわからないと思ったが、ネトレプコに押されぎみだった。しかし後半は本領を発揮し、第三幕「Ora di morte e di vendetta(死と復讐の時よ)」のデュエットなどはネトレプコに引けをとらずダイナミックだった。バンクォーはイタリア人のバス・バリトン、イルデブランド・ダルカンジェロが演じたが、息子だけは助かって欲しいと願いながら殺された時のシーンは心に迫るものがあり大いに存在感を発揮した。ネトレプコの実際の夫であるユシフ・エイヴァゾフはマクダフ役で今回ROHデビューを果たし、第四幕の難民が憂うシーンで「Ah, la paterna mano(ああ、父の手は)」を、言葉の意味を噛み締めながら朗々と歌い上げ、拍手喝采を浴びた。彼もこの日の妙妙たる公演の一端を担っていたといえよう。とはいえ、ネトレプコの次に目立つ活躍をしたのはコーラスだったと思う。第一幕の最後において、犯人に復讐を誓う人々の歌うコーラスは、マクベスを震え上がらせるだけの力強さがあった。第二幕でも、ゲスト達がマクベスの狂気を察する宴会シーンではコーラスが不穏な空気を絶妙に描写していた。全ては指揮者のパッパーノの差配がうまかった為に良くまとまっていたと思う。
『マクベス』は超自然現象を主題としたヴェルディの最初のオペラであるが、ロイドは魔女を様々なシーンに登場させることによって、この超自然の要素を強調している。例えば魔女がマクベスからの手紙をマクベス夫人に渡すこと、王冠をマクベスに授けること、またバンクォーの息子、フリーアンスが暗殺者の手から逃がれる手助けをすること、これらを魔女にさせている。赤いターバンをかぶり、神秘的な存在感を漂わす魔女達のタブローは、シェイクスピアの戯曲には出てこないオペラ独特の演出によるもので味わい深かった。更に計算された照明の美しさも特筆すべきだろう。ダンカン王を殺害する直前のナイフを照らす光や、殺害翌日の朝日の光などは、デザイン性に富み舞台を芸術的にしていた。
シェイクスピアはマクベス夫人に時折優しさも与えているが、ヴェルディは「醜くて悪意に満ち、声は耳障りでこもっていて悪魔のような人」にしたかったという。ネトレプコの演じたマクベス夫人はこのイメージとは異なっていたが、その存在感とスター性をもって人々の目を釘付けにした。来年はネトレプコがROHでヴェルディの『運命の力』でレオノーラを演じるらしい。ROHの観客は今から楽しみにしていることと思う。
May 6th, 2018付 J News UK (https://www.j-news-uk.com) に掲載
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