Madam Butterfly at the English National Opera
現在ENOで上演している『蝶々夫人』は英国が誇る映画監督、アンソニー・ミンゲラが2005年に演出した超人気作品の7回目のリバイバルだ。ミンゲラは映画『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)でアカデミー監督賞を受賞するなど映画監督、脚本家そして映画プロデューサーとして名高いが、映画制作のみならずオペラ演出でも才覚を発揮し、彼の唯一無二のこの作品はローレンス・オリヴィエ賞で最優秀新作オペラ賞を受賞している。
色が鮮やかで視覚に訴える舞台は15年経つ今でも全く色褪せることがなく、魅惑的で幕後はうっとり幸せな気持ちになる。例えば真っ赤な背景の中、扇子を持った日本舞踊者が黒く浮き立つ冒頭シーンや、同じく真っ赤な背景から蝶々夫人が登場する場面、また彼女が自害する際に真っ赤な帯がリボンのようにゆらめきたなびく場面など映画のスクリーンのようで息を呑むほどに美しい。ハン・フェングのデザインする衣装は洗練されていて、特に蝶々夫人の結婚式に登場する女性たちの着物の衣装は色彩豊かで目にまぶしく、色遣いや帯の形、また鬘なども真の日本のものとは異なるものの得も言われぬほどの豪華さだ。天皇陛下が儀式の時にお召しになる「御立纓の冠」の出来損ないのようなゴローのヘッドセットやヤマドリ侯爵の大岡越前のような衣装は日本人が見ると異様で唖然とするとは思うが、もともと西洋人の創ったオリエンタリズムのオペラだと思えば仕方がないと思えよう。とはいえ黒子たちが並んで複数の折り鶴を飛ばしたり、丸い行燈を移動させたりするマイケル・レヴィンがデザインしたセットは鶴や行燈の並び方などが工夫されていて、きめの細かいしっとりした日本的な美を感じることもできる。また特に日本文化を探求している様子がうかがえるのは蝶々さんの息子に文楽の人形を使っていることだ。ブラインド・サミット・シアターの団員が黒子に扮して文楽人形を操るが、蝶々さんに甘えて彼女の膝に頭を載せる姿や蝶々さんを追って走る姿などは無邪気な人間の子供そのものであり、熟練した技術に感嘆した。
蝶々さんを演じたのはナタリヤ・ロマニウ。彼女の歌唱力は終始安定していて抒情的で心に訴えるものがあり、彼女の歌った「さあ、もう少し。"Ancora un passo, or via" 」や「ある晴れた日に。"Un bel di"」からは演歌のような人情味を感じた。蝶々さんを捨ててしまうピンカートンを演じたディミトリ・ピッタスは声はいいが吠えているみたいな気がして心に歌が沁みこんでこなかった。紳士的な長崎の領事・シャープレスを私の大好きなロデリック・ウィリアムズが演じたが、登場した際はいつもの精彩を欠くと思ったが、第2幕では復活し、ピンカートンからの手紙を蝶々さんに読む場面などは心優しさゆえに本当の事が言えない領事を演じる演技力が冴えていた。
日本の美を十分取り入れ、映画的でもあり、15年間人気の衰えることのないアンソニー・ミンゲラの『蝶々夫人』ではあるものの、『蝶々夫人』というオペラ自体が19世紀後半の西洋によるインペリアリズム、女性蔑視を扱った題材であり、昨今では[1]ホワイトウォッシングや[2]イエローフェースといった「文化盗用」([3]カルチュラル・アプロプリエーション)の点で論争の対象になりやすいオペラなので、オペラハウスでもその点には留意している。今回ENOは初めてイエローフェースを廃止した。ENOの発信するオペラがどのように社会的潮流に合わせて進化していくのか目が離せない。イエローフェースの廃止の次は東洋人の蝶々さんの起用だろうか?興味津々だ。
4月17日までイングリッシュ・ナショナル・オペラにて上演
[1] 白人ではない人種の役柄に白人が配役されること [2] 白人俳優が東アジア人役を演じる際にわざと目を吊り上げてみせるようにするなど、東洋人の特徴を際立たせ、戯画化するような舞台化粧 [3] 他の文化の歴史的意義や重要性を顧みずに自分の都合の良いように使うこと
2020年3月9日付J News UK (https://www.j-news-uk.com/)にて掲載
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