Satyagraha at the English National Opera
コロナによる一年半の劇場閉鎖後における2021/2022シーズンのENOの幕開けは『サティヤーグラハ』。『海辺のアインシュタイン』『アクナーテン』と共にフィリップ・グラスの歴史を変えた人物、3部作の内の一つである。
「サティヤーグラハ」とはインドのマハトマ・ガンディーが作ったサンスクリット語の言葉で「真理の堅持」という意味を持つ。いかなる外圧に対しても内なる信念を「堅持」し続け、社会的・政治的な「主張」を「ノンヴァイオレンス(非暴力)」で行うというガンディーの非暴力抵抗運動の思想だ。本作品はフェリム・マクダーモットが2007年に創った傑作だが、ENOにおいて4度目のリバイバルだ。1893年から1914年までの間に南アフリカ共和国に滞在したガンディーが起こしたサティヤーグラハ運動を時間軸を前後させながら取り上げたもので、全3幕から構成されている。そして各幕で過去、現在、未来においてサティヤーグラハの哲学に関係する歴史的人物を登場させることによって、この運動の異なる面を表現している。第一幕はトルストイ、第二幕はタゴール、そして第3幕はマーティン・ルーサー・キングだ。
歌手達はコンスタンス・デジョングによってヒンズー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』から抜粋された文句をサンスクリット語で歌う。字幕がないので観客には歌を直接理解することは不可能で、理解できない言葉がグラスの*ミニマル・ミュージックに乗って何度も繰り返されるので催眠術にかけられる感じだ。しかしそこで眠くならないのがグラスの音楽の別格なところだ。それどころかリズムとテンポが変わるときは極度の感動を呼ぶ。
ジュリアン・クラウチの担当した舞台デザインは幻想的で、怖いとも滑稽とも思える顔をした人形が大勢登場するのが印象的だった。ハンガーや新聞紙やテープなど日常生活で使う材料をふんだんに使った舞台は夢幻的だが親しみやすく、また空中を飛ぶ人間が何回も出てくるなど大掛かりな仕掛けを使っており観ていて楽しめた。更にポール・コンスタブルがデザインしたライティングがファンタジックな世界を効果的に表していたと思う。
ガンディーを演じたのはショーン・パニッカーで、彼のしなやかでしっとり響く声には説得力があった。またゆっくり杖を突いて歩く姿にはカリスマ性があり、彼の人を惹きつける力は実際のガンディー同様だったのではないかと想像する。クリシュナ神を演じたムサ・ヌクングワナは豊かで輝くような声が見事だった。またアルジュナ王子を演じたロス・ラムゴビンも遠くまで伸びる声で観客をうっとりさせた。ガンディーの秘書、ミス・シュレンセンを演じたガブリエラ・キャシディーも、ガンディーの妻、カストゥルバを演じたフェリシティ・バックランドも、ミセス・ナイドゥーを演じたヴェリティ・ウィンゲイトもまたミセス・アレクサンダーを演じたサラ・プリングも、それぞれが卓越した演技であった、がしかし、このオペラの特徴はサティヤーグラハ運動に参加する人たちが団体で大きな運動を成し遂げるのと同じ様に、出演者全員のチームワークが一つの作品を作っている感じがした。それはそれぞれのシーンで微妙に変わるが統一感のあるグラスの音楽が原因ではないかと思う。
台湾出身の女性指揮者キャロリン・クアンは柔軟で、且つエネルギッシュに管楽器と弦楽器のみから構成されるENOオーケストラを率いていた。そしてENOオーケストラもENOコーラスも、彼らの演奏は正確で力強く頼もしかった。
幕後にとても感動した気持ちになるのはガンディーの非暴力主義が私たちの心に訴える力と共に働く神秘的なグラスのミニマル音楽による効果だと思う。一味変わったこのオペラ、ぜひ鑑賞してほしい。
*ミニマル・ミュージックとは1960年代から盛んになった現代音楽の様式の一つ。音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽。
2021年10月22日付J News UKにて掲載
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